院長紹介
Doctor

はらデンタルクリニックの院長紹介をさせて頂きます。
小さい頃の生い立ちから医院開業に至るまでをご紹介いたします。

人にやさしい医療を

平成13年
神奈川歯科大学卒業
平成20年
神奈川県内歯科医院で研鑽を積み、はらデンタルクリニック開業
CDC所属

IDA(国際デンタルアカデミー)、CEセミナー、5-D JAPANアドバンスコース,デンチャーコース、SJCDマイクロスコース歯内療法、レベルアンカレッジ、アレキサンダー矯正セミナーなど開業後も多くの先輩方に御教授頂き、また何よりも日々の臨床より患者様に多くの事を教わりながら現在に至る。

院長 原 智樹 写真
院長 原 智樹

自己紹介

やんちゃだった幼少時代

私は1974年、所沢に生まれました。父は国立西埼玉中央病院小児科に勤務しており、小さいころはその官舎で育ちました。当時の私は活発というか無頼というか、水たまりがあればそこで必ず泳いだり、目を離した隙に石油ストーブを分解してしまったり、ここでは書けない様なエピソードを含め、後で聞くにはかなり親を困らせた様です。
小学校は2年生まで北小学校、3年生の時に北中小学校が出来て6年生まで過ごしました。
この頃も一般的に言う「良い子」という子供には程遠く、先生や両親にはかなり迷惑をかけた様に思います。


陸上に没頭した中高時代

生意気なガキであった私がちょっとそうもいかなくなったのは中学生になってからです。
担任であり陸上部の顧問である先生がとにかく怖かったのです。しかし怖いだけでなく、いつも本気で、そして優しかった。あきらめず根気よく御指導頂いた甲斐があり、おかげさまで200メートルで全国5位の成績を収めることが出来ました。
この頃に先生に教わったのは「負けない気持ち」と「自主性」です。
高校の進学も含め、歯科医師となったのは先生との出会いがあったからです。
今も先生には患者さんとして御来院頂き、また人生の師匠としてお付き合いさせて頂いております。

高校は日本大学鶴ヶ丘高校に進学しました。
進学先は中学校の恩師の先生が私が強制されることを嫌うのを考慮して自主性を持って練習出来る様、あえて指導者がおらず、かつ練習場は大学のグラウンドで当時100Mも200Mも後の日本記録保持者が複数在籍する日本大学の選手を見ることが出来る環境を選んで進学を進めてくれました。
この頃は陸上の事と好きな女の子の事以外は何も考えていませんでした。とにかく速く走ることが人生の目標であり、将来は漠然とオリンピックに出たいという夢を持っていました。
私自身は生意気で人間的にも自分勝手であったけれど、中学の恩師の先生、東京都の選抜合宿や国体で御指導頂いた強化委員の先生方や何よりも陸上部の良き仲間のおかげで、個人でもリレーでも東京都で2番となりインターハイや国体、ジュニアオリンピックなどで活躍することが出来ました。
3年の夏のインターハイが終わり、納得いく結果が残せなかったのですが、まだ自分には伸びしろがあると感じていたので大学に進学し陸上を続けようと思っていました。
日大の付属校ではありましたが日本代表選手が多く在籍する日大の短距離は当時あまりに強く、同期の100M、200Mのインターハイチャンピオンも進学が決まっていましたし学内で試合に出ることがインターカレッジで決勝に残るほど難しい状況に思われ、とにかく試合に出たかったので他大学のスポーツ推薦受験をしました。そのときに最終面接で「短距離はいらないんだよなー」と試験官の先生が小声でおっしゃったのを覚えています。結果不合格。それまでの人生が否定された様な気がしました。
そのときに陸上を仮に大学で続けても、学力や人間性や「陸上以外」のものが自分に無ければ4年後に同じ思いをするだけだと思い、走る以外の将来も考える様になりました。


医師を目指した浪人時代

高校を卒業し、私は浪人し医師を目指す事にしました。人生から陸上を省き、まっさらな気持ちで将来の職業として何を目指すか考えたときに、思い浮かんだのは幼いころから見てきた地域の患者さんに信頼を得ているストイックに働く医師である父の姿でした。それまで高校時代は部活ばかりでろくに勉強はしていませんでしたが、スポーツで培った気合いと根性で何とかなると思っていました。しかし実際に浪人生活が始まってみると、まず机の前に座り続けることが苦痛で、また、3年間の不勉強による基礎学力不足により受験勉強は困難を極めました。2年間の浪人生活を経て、神奈川歯科大学に合格しました。希望の学部ではありませんでしたが、妹も同大学に合格しており、同じ医療に携わる仕事ということで周囲の勧めもあり入学することにしました。


多くの先生、仲間に支えられた大学時代

大学時代は学業、部活、アルバイトと充実した学生生活を送りました。埼玉で育った私にとって異国情緒あふれ、海のある街、横須賀はとても魅力的な街でした。部活は最初の2年は陸上部がなく、経験したことのない団体競技のスポーツをするのも良いかと思いアメリカンフットボール部に入部しましたが、練習中に骨折し手術を受け、先生にもう一度走れるようになるかと聞くと無理だろうと言われました。どうせなら元に戻らないかもしれないリハビリをするなら1人でも大好きな陸上をもう一度やってみたいと思い、アメフト部を退部させて頂き、一人で練習をし、1年間のリハビリ後いくつかの試合に出場しました。全国歯科医学生大会で優勝、関東医歯薬獣学生大会で3位の成績を収めることが出来ました。高校時代の記録から言えば満足な結果はでませんでしたが、とてもジーンとしたのを覚えています。高校のとき仲が良かった後輩はオリンピックに出たりして、凄いなー羨ましいなーとは思いましたが、陸上は人との競争だけれど当時の自分にとっての努力は出来たのでそれはそれで楽しく走れました。後に体育学の川上先生や仲間が助けてくれたおかげで陸上部を作ることもできました。歯科大学での勉強は想像以上に範囲が広く、難しかったですが興味深いものでした。深夜の解剖学実習、大学病院での患者さんを担当しての臨床実習など楽しくも大変でありましたが、多くの先生方、仲間のおかげで滞りなく卒業、国家試験合格までたどり着くことが出来ました。この頃学校やアルバイト経験で得た仲間は今でも親しくさせてもらっており、大切な宝物です。


沢山の学びを得た勤務医時代

大学を卒業した私は神奈川歯科大学の総合診療科で研修医となりました。と同時に歯科保存科での大学院進学を見据え学生時代にお世話になった先生の研究チームの、大学院生をされている先輩から手ほどきを受けました。臨床と研究はどちらも興味深いものでしたが1年両方やってみた結果、もっと臨床をやりたいと思い大学院進学をやめ、もう1年総合診療科で臨床を行いました。
3年目からは一般開業医に勤めました。最初にお世話になったのは三崎漁港の近くの歯科医院で院長は口腔外科のご出身で、そのときに教わった抜歯の仕方は今も役に立っています。また、他にもとても人柄が良く、多くの患者さんが来院される医院やこだわりを持って地道な治療をされている先生の医院、3つの医院を経営している医療法人など色々な医院で研鑽を積ませて頂き、同じ歯科医療なれどそれぞれの医院の治療方針、大事にしている部分は多様でそれぞれに患者さんに選ばれる理由があることをそれぞれの医院での経験から学ばせて頂きました。3年目あたりには患者さんに別のDrに代わって欲しいと言われてしまったり、申し訳なかったり悔しかったり患者さんに色んな体験をさせて頂きました。キャリアを積むにつれ、徐々に患者さんから指名を頂けるようになってきました。


医院開業から現在に至るまで

卒後7年を迎えた頃、自分がやりたい診療のスタイルが見えはじめ、開業を考え始めました。そして平成20年4月に生まれ育った所沢の地で開業致しました。開業の際に守りたい方針として思っていたのは、

  1. 患者さんになぜその治療が必要なのか、今何が患者さんに何が起きているのかを御理解頂き、これからの治療を頑張って頂く気持ちを作る為に説明を分かりやすくする
  2. 治療結果にこだわる
  3. でも患者さんが嫌がることを絶対にしない
  4. 自分も患者さんもスタッフも幸せになる方法を探す努力を惜しまない

ということでした。頑張れば出来ると確信し開業しましたが実際に自分が院長となってみると、想像以上に色んなことが起きました。患者さんにもスタッフにも私の力量不足故に思いとはうらはらに不快な思いをさせてしまったことも数あったと思います。やるべきこと、やりたいことは増えましたがこの4つの事を守りたいというこのときの思いは5年経った今も変わりません。
日常の患者さんとのふれあい、臨床、そして歯科医学をより深く学び、より良い治療を提供する為に様々な研修会などに参加する中で素晴らしい先生方との出会いが、より私と医院を成長させてくれました。知識、技術、姿勢、色々なことを教わってきましたが、何よりも人生が変わったのは、ある著名な先生から頂いた「歯科を楽しんでください」という言葉です。それまで苦しいことのことが多かった歯科医療が、その先生のエネルギッシュな姿勢と行われている素晴らしい医療を知り、人間の治癒のメカニズムと歯科医師の治癒のお手伝いの仕方を学ぶことで私の日常は変わっていきました。
おかげさまで、今、私は歯科を楽しんでいます。ある自家歯牙移植の症例を先輩の先生に見て頂いたとき、「この患者さんははらデンタルクリニックに行って本当に良かったね、先生はこの人を救ったね」と言って頂いたとき、涙が出るほど嬉しかった。患者さんや志を共有できる先生からもらえる感動が今の私の原動力です。そしてこれからも歯科を楽しみ、「本物」の歯科医院を目指していきたいと思っています。

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